東日本大震災 日記

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東日本大震災から6年。

携帯電話が普及していた当時ではあっても、携帯にはたった一枚の写真さえ残ってませんでした。
久しぶりに電源つけてみたら、画像データが『読み取り出来ません』なエラーが出てしまってた。
データは震災当日から7日分のメモが残っていました。

なので、この記事は文字のみです。
今読み直すとちょっとしたところ、一人称とか手直ししようかなとも思いましたが、そのまま載せておきたいと思います。

—————————
今回の地震についての記録。

地震があったのは、2011年3月11日14時46分。
岩手の盛岡のとあるビルで仕事してた。
ここのところ残業続きで、その日も例にもれず、いつもと同じ一日のはずだった。
パソコンに向けていた目を、窓の外へ目をやり、少し早い3時の珈琲でも淹れようと机の引き出しからビンを取り出した時だった。

フロアには携帯電話の速報アラームが鳴り響く。
震度はあがる。
パソコンの電源が落ち、フロアの電気は消え、非常電源がついたが、数分でこれも切れた。

想像以上だった。
横揺れで、ビル全体がしなったように感じた。

天井がきしみ、チリや埃が降ってきた時、「こんな最低な死に方ある
かよ」と何かを睨みつけたい気持ちになる。

揺れがおさまり、避難訓練と同じ要領で、みんなが動く。
けど、普段サンダルで仕事をしてる人は、ロッカーへ靴をとりにいく人もいた。
俺は財布と携帯、靴は席に置いていたので履き替えて外へ。

その後も余震は続く。
外では点呼をとる合間、周りは家族等に電話をしている人やワンセグで情報を調べる人でいっぱいになった。
ワンセグで宮古のライブ映像を見てみんなが衝撃を受けてた。

市内の方でサイレンが聞こえて目をやると煙が見える。
どっかの地下駐車場でボヤが出たとか、声が聞こえた。

余震が収まり、点呼の後、メガホンから声が。
「本日は仕事は終了、荷物をとりたいものは、自己責任でビルへ入ること」
との連絡が。

ロッカーへコートとマフラー・カバンをとりに戻る。
真っ暗で、携帯のライトでまわりと協力しながら身なりを整えた。

「ここからだと、5キロくらいか」
防寒はばっちりだが、雪がちらつく。
カバンにはポカリが半分。
家の方向に足を向ける。

信号は止まっていた。
道は渋滞してたが、ドライバー達は慎重に行動してた。
我先に!って感じの車はいなかった。

途中でコンビニを2件見つけた。
ライフラインが全て止まっていることを想定して、水を購入していこうと思ったが、1件目は「災害時なので、電池しか売ることが出来ません」と言われる。
なるほど、電池でもあれば助かる。
単3と単4しか売ってなかった。懐中電灯なんかに使う単1はすぐに売り切れになったらしい。

2件目では、商品の制限はなかった。
会計は電卓でしていた。1件目と違い、POSのハンディ(バーコード読み取り機)は使えるみたいだった。
それでも、入り口まで人は並んでいて、会計まで1時間はかかった。
単純なことを繰り返す機械の仕事は高速だが、人がするには時間がかかる。
その間、自分の後ろに並んでいた青年と会話をする。
彼はマリオスから歩いてきたと言っていた。
備蓄はあるのかと聞いたら、ホワイトディの為に買ったクッキーがあるという。
それで食いつないだらどうだというから、一緒に食ってもっと仲良くなればいいさと雑談。
時計は17時半。雪が降っているせいか、光が反射してて外は思ったより明るかった。
売れてた商品は、水、カップ麺、弁当、ラジオ、電池だった。
並んでいると店員が「小銭がなくなってしまい、お釣りが出せません。千円以下の商品は千円になってしまいますが、申し訳ありません!」というような声が聞こえる。
仕方ない。それでも、店内は暴れるような人は誰一人いなく、列も乱さず、みんな店員にありがとうとか、頑張ってくださいとか声をかけてた。
日本人の民度は誇れるものの一つだと思う。
有事に秩序を乱すことの危険さをわかってる。

アパートにやっと到着。
会社を出て3時間くらい。
外はまもなく日没。
それでもまだ余震が来る。
実家とは連絡が取れなかったが、妹と祖母がいるはず。

手入れしていた山道具をリュックに積んだ。
中身は電気ランタン・ラジオ・コッヘル・マイクロストーブ・食料。
着替えをして、ガスの元栓を締め、電力が戻った際の万一の過電圧のためにブレーカーを落とし部屋を出た。

車に乗る。
ガソリンは4分の1くらい。おそらく100キロ程度は走れるはず。
暗闇の中、信号がつかない4号線に出る。
ラジオで大船渡を中継している。
レポーターの彼の声は少し涙声で、俺はそれを聞いてこみあげるものがあった。
大船渡はあまり行ったことはないが、宮古・大槌には思い出もある。

北山トンネルはライトがついていたような気がする。覚えてない。

実家につくともちろん真っ暗、婆さんが出てくるまで時間もかかる。あかりがないんだからな。
ちょうど妹が帰宅。会社の仲間を送って返ってきたらしい。

家に入って、温度計を確かめる。13度くらいだった。
確か冬でも10度以下にはならない家のつくりだったはず。
それでも何もしなければ寒い。

幸いなことに、ガスと水道は生きてた。
食事を作り、ランタンの光の中、話をする。
町の状況や、婆さんの体験でこんな地震はあったのかとか。

食後はラジオに耳をかたむけ一夜を過ごす。
何度も仲間に連絡を試みたが、繋がらないのが辛かった。

初日の記載終わり。

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初日で役にたったものリスト。
1・電気ランタン。
2・ラジオ(手回しあり)
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初日で欲しかったもの。
灯油ストーブ(電気不要)

3月12日。
東北地方太平洋沖地震から2日目。

夜中にも余震があり。その度に目が覚めてしまう。

朝5時半ちかく。
富山に行ってる妹から連絡が。
あっちも大きな地震があったらしい。
寝てた時間はラジオ聞けないから、情報が得られない。
日本中に地震が起きてるのかと錯覚してしまう。
実際、関東でも余震がまだあったりしてる。
映画の日本沈没が頭をよぎる。

天気は晴れ、しかし電気は相変わらずつかない。
ラジオから情報を整理、岩手の地図を開いて、どこがどれくらいの被害があるのか調べる。
陸前高田が全壊。
宮古・山田・大槌も大きな被害と知る。

その人たちのために、何も出来ない。
無力だ。
自分がどうなるかも、わからない。
無力だ。
仲間は大丈夫だろうか。
無力だ。

出来ることは、家の被害の把握と片付け、食料の備蓄のチェック、婆さんの体調を伺うくらいだった。

昨日は上がらなかった2階へ。
植木鉢が倒れてること、洗濯の棒が落ちてること、棚の上のものが落ちてること。
植木の処理は、ほうきで土を戻すことくらいしか出来ず。掃除機も使えないからな。
一通り片づけを済ませ、一階へ。
リビングボードは昨夜、ビニールテープで引き戸の部分を固定しておいた。
後は神棚の上のものが落ちないようにあらかじめ下ろしておく。
台所も高いところにあるものは全て下ろして万一に備えた。
ラジオからは、被災情報が流れ続ける。

昼食。
婆さんがうどんにほうれん草に、タマゴを入れて出してくれた。
この3食正しい食事が後どれだけ続けることが出来るのかと、食べながら思う。
うどんを出してくれたのありがたかったけど、今後はうどんは婆さん優先で食べてくれと言った。
カップ麺を食べるよりは、うどんの方が消化もいいだろうし、カップ麺だけじゃ具合も悪くなりそうだから。
そんな中、妹は野菜たっぷりなサラダとラーメンを食べてた。

午後は、浴槽を綺麗に磨いて、水を汲む。
一般的な浴槽は200リットルくらい入るらしいから、うちならもう少しは入ってるはず。
最悪はここから汲んで煮沸させて飲むことも考える。

そういえば、昨日から風呂に入ってない。
体も汗をかいてるが、何より頭を洗いたかった。
まだ日も高いし、乾くのに時間もかからないだろうと、水でシャンプーを。
なかなか冷たい。
え~い、ここは我慢!と頭を洗って、居間に戻る。
すると、電気が復活していた・・・
ここまで5分程度。
ま、いいとしよう。
3時半くらいに電気が復旧したことになる。

妹のドライヤーを借りて髪を乾かす。
テレビもつき、情報も得られるようになった。
食料の備蓄も十分。ライフラインは実家は全てクリア。

4時。
実家を後に、アパートに戻る。
ここまで10キロ程度だけど、電気は復旧してなかった。
それでも日のあるうちに、片づけを進める。
電子レンジも落ちてない、冷蔵庫も大丈夫。
一番気になってたダーツ台も倒れてない。
不幸中の幸いだった。
でも植木が倒れてて・・・

6時くらいまでに多少は片付いた。
でも電気はつかない。
ランタンをつけた。

ワンセグでテレビを見る。
時折、ディスプレイに圏外の文字が出たが、ワンセグの電波には干渉せず。
被害の状況が、目に入ってくる。

宮城で1万人以上が行方不明。
仙台で200~300の遺体を目視で確認。
福島の原発の異常。
時間がたつにつれて、地震の被害がわかってくる。
悲惨だ。他に言葉が浮かばない。

夕食はガスが使えたんで、ラーメンを。
それと、サプリを。
普段とってるマルチビタミンなんかを、2日に一粒ずつとっていこうと思っていた。
野菜が不足するとどうしてもビタミンが欠乏するから。

食事の後は、風呂を沸かし、2日ぶりの風呂に入った。
古いタイプの手回し式のボイラーだったのが幸いした。

19;30。外を見ると前の家に明かりがつく。
電気がこっちも復活したらしい。
テレビだけつけて、情報を集める。
おそらく電力が不足してるから、部屋のあかりはテレビの光で代用した。

夜の内容は、昼とうってかわって原発メインな内容だった。
日本が目下抱える問題は、地震の被害・原発の問題。
福島の人は、地震と原発の問題を同時に抱えてる。
大丈夫だろうか。

昨日から仲間との連絡が取れなかったが、ようやく電話が繋がる。
彼女、単身赴任の父と母、病院の人工透析のニュースを聞いて、気になっていた仲間とも電話が出来た。
みんな無事らしい。
安心した。

余震が続く中、2日目の夜もふける。

2日目の記載終わり。

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2日目の夜。
盛岡も場所によっては、ライフラインが回復した。
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3月13日 日曜。
東北地方太平洋沖地震から3日目。
時計に搭載されている温度計を見る。5度。
まだ春ではない。
古いボロアパートでも雨風凌げるだけマシか。
よく持ちこたえてくれてる。
傾いたりもしてないとは、俺が生まれる前の建築物なのにさ。

朝は、ラーメンに冷凍してた野菜、タマゴをいれて食べる。
野菜は普段からジプロックに切って入れてたのが助かった。
しかし、野菜もほうれん草が残りわずか。
しばらくは、少しずつビタミンのサプリで代用だ。

昼。タカナリと町へ。
ガソリンスタンドはすでにガソリンがないのに、それを知るすべなく長い行列が出来てるところがチラホラ。
本音をいえば俺もガソリンは欲しかった。残り100キロ程度の走行がギリギリなラインだろう。
けど、これでも万一の際にだけ使うなら、なんとかなると思ってる。
盛岡を離れろなんてことにならない限りは。
途中で自衛隊の車を見た。
ちょうど106号から宮古へ向かうようだった。
気づけば複雑な気持ちでナンバープレートを目で追っていた。

町はその機能を完全に取り戻してない。
信号はまだついてないところもある。
やはり電力が足りないのだ。

コンビニに寄る。
残るのは、雑貨、酒、後は菓子類が少々。
電源の入ってない冷凍ボックスのハーゲンダッツを見て、もったいないなと思ったよ。

サンデーに寄る。
ホストのマシンやらの具合が悪いらしく、店内での販売は出来ず、店頭販売のみ。わずかな日常品のみが売られていた。
電池、携帯の充電器、ガソリンの予備タンク、電気毛布、お歳暮の残りもの、洗剤等。
ここでは洗剤を一つ購入した。

イオンに寄る。
ここでも店頭販売。万一暴動なんかが起きないように、店内に客を入れないのかな?とも思ったりしながら並んでいた。
店頭販売とはいえ、みんなが自由に買い物をするのではなく、一度に7から8人程度の人を順番に通しての、制限をかけていた。
ネギ、タマネギ、ほうれん草、電池、飲料水、米、味噌、水菜、クッキー等が売ってた。
ここでは、ネギ・タマネギ・味噌を購入。帰宅したら野菜は切ってジプロックにいれて冷凍だ。
印象に残ってたのは、1台だけ残ってた3500円のラジオ付きラジカセ。

タナカリと別れ、午後は部屋の掃除を続ける。

一昨日は山道具と、財布、少しの貴重品だけ持って実家へ戻ったんだ。
本当に必要な物は、そんなに多くないんだなと思った。
それは、きっと、人生やり直せるって思ってる自分がいるから。
今年の俺の目標の断捨離も思ったよりはかどりそうだな、なんて思いながら片づけを続ける。

テレビでは原発のニュースがメイン。
爆発があって、炉心溶融についても触れてた。
最悪の事態が起こったとき、いったいどれだけの範囲で、どれだけのことが起こるとはニュースキャスターは話してなかった。
宮城では行方不明者が1万人以上、死者もそれに比例するような話をしていた。
そう遠くはない。
宮古だって100キロも離れてない。
実家とアパートを10回も往復すればついてしまう距離だ。
だが、そこには明かりもなければ、食料も乏しい場所だ。

上空をレポーターを乗せたヘリの映像を流す。
何度も行くなら、物資の一つも持って行ってあげられないのだろうか。

余震はまだある、3日目の夜か。
電力は貴重だ。
それに灯油も。
灯油の残量は36リットル。
一缶と半分。
耐えられる限りは節約していかねば。

ZIPPOのオイルを使ったハンディーウォーマーを出す。
これはスキットル(ロシア人がウイスキーを入れてるような鉄の小さな水筒)みたいなものに、オイルを入れて、気化したものを、火で熱したプラチナ触媒を通して熱を出す仕組みを持つカイロのひとつ。
これで12~24時間持つ。
しばらくはこれで耐えようか。
電気も必要最低限以上は使いたくない。
紐をつけたそれを、服の上からネックレスをかけるように首に通した。

テレビの電源を落とし、布団に入る。
いろいろ頭に浮かんでくる。
明日は月曜。仕事か。職場はどうなってるんだろう。
本当だったら、アイツとうまいもん食って、うまいもん飲んで、プレゼントしてとか。

背中の疲れが心地いい。
眠りにつくまでそう時間はかからなかった。

3日目記載終了。
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印象に残ったこと。
コンビニに残ったジュース。
まだ選んでられる状況なんだと思った。
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3月14日 月曜。東北地方太平洋沖地震から4日目。

目が覚めて最初にしたことは、障子戸をあけて窓の外に目を。
町が見える。
天気は快晴だ。
道路に並ぶ車は意外と多かった。
ガソリンがある限りは、ある程度それで移動するのだろう。
珈琲を飲む。
普段はブラックだが、今日は砂糖を少し入れる。
少しでも頭を働かせたいとするあがきだ。

午前8時。
会社へ電話をすると、協力会社は今日は休みとのこと。
なるほど。

少しすると、けたたましいサイレンがなり、町の方へ救急車・パトカーの音が聞こえた。
そのときは何かわからなかったが、中三デパートの地下で爆発が起きたそうだ。
11人負傷。1人死亡。
大きくゆがんだシャッターは、爆発の大きさを物語っていた。
吹き飛ばなかったシャッターは風船のように膨らんでた。
もし、シャッターが破壊されれば近隣はもっと被害があったかもしれない。
事故が起こる時間帯は、普段なら自分の通勤路だ。

地震が怖いのは揺れてる時だけじゃない。
その爪痕が怖い。
目に見えない不安が、現実になって押し寄せてくる。
朝日を目にするように、目に入れば、自分が処理できようと出来まいとただただ現実。
ただただ現実だ・・・。

昼間は部屋の片づけを続行。
黙って座ってると腰も痛くなるし、体を動かすのは、気持ちのリフレッシュになる。

正午。
近くの生協へ行き、備蓄食料の増量を図る。

いつもの3割ぐらいしか物がない。
やはり、インスタント食品、水、鮭なんかの缶詰は売り切れていた。
ふりかけや海苔も人気のようだった。
おそらくしばらくは、昼間はおにぎりを職場でとる人も多いんだろう。

生鮮食品は、衛生管理上の問題でお売りできませんの張り紙が。
停電の影響だろう。
加熱処理すれば肉も食べれなくはないんだろうが、万一を考えてるんだと思う。
牛乳も駄目。
卵も駄目。
万能な栄養を誇る卵が手に入らないの痛い。
江戸時代じゃ風邪のときとかに食べるくらいの高級食材だから。

自分が欲しかったものは、半分以上残ってた。
それは「ふじっこ(塩昆布)」と「シーチキン」
米3合に両方いれて炊いて味ご飯にする文化が俺にあったから、残ってたのは驚きだった。
帰宅後、さっさと味ご飯の作成。ふじっこ1袋とシーチキン1缶の中身と一緒に米を炊き、冷ましてラップに包む。後はジプロックにいれて冷凍保存する。
3合だと、だいたい茶碗に6食分程度になる。
明日からの仕事はこいつで凌ぐ。

夕方。
早めに食事を済ませる。
ラーメンに切って冷凍してたネギとほうれん草を。
後は米を。
とれる間は食事もしっかりとって、体調管理に気を配らないといけない。

早めに食事をとったのは、電気の節約をしたかったから。
今日もランタンとラジオで過ごす。
映像を一日見ていると、刺激が強くて、気が滅入ると思ったからだ。
好きな山の本を開いて、思いを馳せる。

夜は家族や彼女と少しの時間だけど話しが出来た。
普段電話を持っていてもあまり話さないのに、有事の繋がりにくいときに使いたいのが電話。
すぐに回線がパンクすることを考えると、有事の連絡手段としては心もとない。
それでもないよりはずっとマシで、何より当たり前に繋がることの方が軌跡なのだ。
昔なら魔法のようなものを、当たり前に使ってるだけで、それがどうして動いているかを知る人間は少なくない。
電話然り、今こうしている間も炉心溶融が進んでいるかもしれない原発も然り。

受話器の向こうに聞こえる声に自分も救われる。
相手が無事だという安心感がある。
どんな内容でも絆を深めていきたいと思う。
会えないときの支えあいは絶対に大事だ。

布団に入る。
会社のみんなは無事だろうか。
まずは、しっかり眠って明日に備えよう。
今ある体力をうまく使って乗り越えるしかない。

災害は必ずしも万全なときに訪れない。
病にかかっていても容赦なく襲い掛かる。
万全でも、それが予想を上回ることもある。
堤防を乗り越えた津波のように。

4日目記載終了。
———————
牛乳がないと無性に飲みたくなる。
卵がないとラーメンも心細い。

わかっていても、結局、ないものねだりだ。
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3月15日 火曜。東北地方太平洋沖地震から5日目。

朝6時。
夢見の悪い朝だった。
暗い海辺に、途方にくれる自分、まわりの酷い状況。
スマトラで起きた地震の時に見た映像や、画像が混ざったような内容だった。
詳しくは書かない。

今日から仕事だ。
準備をする。
まずは、弁当を作る。
昨日炊いて冷凍してたご飯を、海苔で巻いただけの簡単なおにぎりを2つ。
しばらくはこれが昼飯になるだろう。

通勤はバスだ。
バス停までの道路は、いつもより少し車が少ない程度。
本数は一時間に3本程度。
最初の2本は満員。
最後の1本には、前のドアからかろうじて入ることが出来た。
しかも、目的地は駅と逆方向なので、中央郵便局から会社まで2キロくらい歩く。
帰りのバスは6時半ぐらいが最終だ。

いつも朝に寄っているコンビニ。
いつもなら、ここでパンを買うのが最近の日課だった。
張り紙がある。
「本日は9時から開店します。」
仕事の開始時間が早い人は使えないんだな。
仕方ない。

会社へ着く。
出勤した社員は9割程度。
まだ電車が復旧していないため、遠隔の人は来る手段がない。

上司に自分の状況を伝える。
まだ、被災地の人と連絡が取れない人もいる。

各グループのリーダーが、社員の通勤手段を聞いて回る。
バスと自転車、徒歩がほとんどだ。
みんなガソリンは有事のために温存しているようだ。

原発の悲惨な内容が聞こえる。
被災地の情報が聞こえる。

仕事は正直、あまり手につかない。
テレビをつけたまま、それをラジオのかわりのように流して仕事をする。

節電をしようと、フロアの電気は1列のみ点灯、昼間は消灯。
暖房はしようせず、厚着で凌ぐ。

仕事を、数少ない帰りのバスになんとか乗った。
数は朝と同じだ。

バスを降りた後、スーパーへ。
少ない野菜が売っている。
ネギ、舞茸、ほうれん草、ブロッコリーなど。
張り紙には1人同種は2個までとあったが、みんな1つだけとって、買い占めようとする人はいなかった。
俺はネギ1本、ほうれん草、舞茸を購入。

スーパーを出た後、他の店はどうか、少し歩いてみた。
すき屋、吉野家、サンクスは閉まってた。
意外だったのは、マックがやっていたこと。

年に数度しか入らないけど入ってみた。
入り口の張り紙にこうあった。
「バーガーはフィレオフィッシュのみとなります」

今夜は節電するのに、バーガーを食べることにした。
2個と、チキンナゲット、シャカシャカチキンというのを購入。
動物性たんぱく質をとったのは、一週間ぶりだ。

帰宅すると何故か疲れに見舞われ、食事をゆっくり取って布団へ。

ツイッターで市内の状況を確認。
PREF_IWATEという件の広報部のつぶやきも有効だ。
16日以降はごみ収集は出来ないとのこと。
参考までに盛岡には44台の収集車があるそうだ。
ガソリンは相変わらず入手困難。

見てるうちに目が重い。
精神的に疲れがあるのかもしれないな。
今朝の夢見の悪さ、寝不足もあるかもしれない。

時折起こる余震が、今起こってるのは現実なんだと体に現実を刻む。

5日目記録終了。
———————-
慣れないツイッターをはじめた。
今はここである程度の情報を得てます。参考までに。

岩手県広聴広報課
http://twitter.com/#!/pref_iwate

———————–

3月16日 水曜日。東北地方太平洋沖地震から6日目

寒い。確実に昨日より寒い。
時計の温度計で4度。
外を見ると雪が積もっていた。
3センチくらいかな。

弁当の準備。
今日もおにぎり。
顔を洗ってる間にレンジでチン。
後は海苔で包んで昨日と一緒。
昼はしばらく、以下のセットメニューになりそうです。
「おにぎり2個 + 味噌汁 OR コーンスープ」

日に日に、道路の車が減っていく。
それに加えてこの雪で、バスに乗るのも一苦労。
それでもまだ仕事に行けるだけマシか。
部屋にいて暖房器具を使うよりは節約も出来るし。

会社では、今後の通勤についてみんな聞かれていた。
10キロ以上離れてる人もザラで、ガソリンがなければ通勤は出来ない。
バスも走らなければ、いよいよ自宅待機か。
市内は自転車も品薄になってきてるらしい。

夕方は雪が降ってきた。
どことなく、原発の関係が気になってしまう。
天気予報で風向きを見て、大丈夫なのはわかってるけど。

ネットに原発の安全弁を人力で開けたという情報があった。
昔、潜水艦の映画に似たような内容があったから信憑性はどうかわからないけど、読んでて涙が出た。
ちなみに時系列でいうと、安全弁を開けたという報道があった1時間前ぐらいからの書き込み。
書き込み者の内容を下記に転載。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
699 :名無しさん@十一周年[sage]:2011/03/15(火) 00:07:16.68 ID:ZBmJqNxuO
90人くらい交代で10秒ずつ修理してるか無理だ
塩がこびりついて
もうみんな規定量以上被ばくしてる
人手足りないんだ
しかも東北など被災しているところからの出稼ぎ組
みんな家族の安否すらわからね状況
もう家族にはあえないな…
自衛隊の皆様も…
修理もどる

元スレ 【原発問題】2号機 水位が半分にまで回復★2 配信:3月14日 22時21分

789 :名無しさん@十一周年[sage]:2011/03/15(火) 00:18:14.08 ID:ZBmJqNxuO
人力で弁を開けています
一人8秒
みんな被ばくしてるわ

今現状塩で不可
濃度250倍こえ

元スレ 【原発事故】福島第1原発2号機、再び燃料が全露出★2[03/15]
367 :名無しさん@十一周年[sage]:2011/03/15(火) 00:21:38.26 ID:ZBmJqNxuO
人力で弁を開けています
一人8秒
み被ばく
今現状覚悟して修理してるが
塩で弁解放不可
内濃度250倍こえ
仕事無理だ

974 :名無しさん@十一周年[sage]:2011/03/15(火) 00:25:49.87 ID:ZBmJqNxuO
報道しないのか
おにぎりたべるきにならね…
隠蔽か

元スレ 【原発問題】福島第一原発2号機、圧力逃し弁が閉じる 炉内の水位が急低下 3/15 00:19
686 :名無しさん@十一周年[sage]:2011/03/15(火) 00:44:42.64 ID:ZBmJqNxuO
塩が原因といってやれよ!
隠蔽しすぎだ

自衛隊撤退準備中
あとはおれら出稼ぎ組か…

【原発事故】福島第1原発2号機、再び燃料が全露出★5[03/15]
983 :名無しさん@十一周年[sage]:2011/03/15(火) 00:51:51.12 ID:ZBmJqNxuO
>>812
それを開けるのに大変
20人が10秒こうたい

【原発事故】福島第1原発2号機、再び燃料が全露出★6[03/15]
638 :名無しさん@十一周年[sage]:2011/03/15(火) 01:01:25.57 ID:ZBmJqNxuO
作業中47万マイクロ
だからな…
みんな被ばく
自衛隊、レーガン撤退

【原発事故】福島第1原発2号機、再び燃料が全露出★7[03/15]
21 :名無しさん@十一周年[sage]:2011/03/15(火) 01:06:01.15 ID:ZBmJqNxuO
人力で弁を開けています
一人8秒
みんな被ばくしてるわ
今現状塩で不可
47万マイクロこえ

【原発事故】福島第1原発2号機、再び燃料が全露出★8[03/15]
125 :名無しさん@十一周年[sage]:2011/03/15(火) 01:16:30.75 ID:ZBmJqNxuO
レベル6

【東日本大震災】東海第2発電所で冷却系ポンプが停止
495 :名無しさん@十一周年[sage]:2011/03/15(火) 01:27:14.68 ID:ZBmJqNxuO
弁あいたぞ
でも放出中

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信憑性としては、この一時間後の産経新聞「 2011/3/15 2:28
」に弁を開けたとの記載があった。
一部転載
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 東京電力福島事務所は福島第1原子力発電所2号機について、午前1時10分に安全弁が開き、原子炉内の圧力が低下したと公表した。午後 11時前に水蒸気を放出する安全弁が閉じ、燃料棒が再びすべて露出したが、「圧力の数値を見る限り、原子炉内に(炉心を冷やすための)海水が入っている可能性がある」と話している。

 東電福島事務所によると炉内の圧力は0時41分に1.71メガパスカルまで上昇したものの、安全弁が開いた後の1時28分には0.63メガパスカルまで低下した。ただ、燃料棒が露出したままの状態は変わらないという。

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犠牲の上に、今の現状がある。
政府は宮崎の口蹄疫の被害が起きたときは、宮崎の報告が遅いと非難し、宮崎のせいにした。報告しても、外遊してる赤松、あの時の怒りはまだ消えてない。
そして、今回は東電のせいにしようとしてる。
まったく首相は役立たずだ。
枝野はよくやってる。
首相よりよっぽど役にたってる。
だいたい、視察に行ってた時間が無駄だったし、すぐに対策をすべきだった。

6日目の夜。
タカナリから電話があり少し話す。
疲れていてあまり話せなかったが、気遣がありがたかった。

時計は10時だったが、眠りに落ちた。

6日目記載終了
ーーーーーーーーーーーーーーーー

職場はみんなおにぎりだ。

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3月17日 木曜日。東北地方太平洋沖地震から7日目。

いつもとあまり変わらない朝。
ただ、車が日に日に少なくなっている。

昼間、タカナリ氏から「卵、牛乳、豚肉」を1つずつ入手してくれたとの連絡があった。ありがたい。貴重なたんぱく質は、大切に大切に使用させていただきます。
根岸から青森経由で盛岡に列車が通るとの噂を聞く。
盛岡はもう大丈夫。
後は、沿岸への援助をお願いしたいと思った。

夜、ウッチィ氏から、カイロの差し入れがあった。
ボロアパートの隙間風に冷やされる体には暖かい。
ZIPPOカイロの袋にいれて、胸にぶら下げる。
体の中心の温度が下がらなければまったんの温度もそう下がらない。
ちなみに下がったときは、腕をぐるぐる回すのも有効らしい。
遠心力の力で、血が末端まで届くから。

みんなに助けられながら生きている。
本当に感謝。

地震記録7日目記録終了。
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有効期限の切れたカイロも全然使える。
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以上、当時の日記より。

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