田舎の『何もない』は『何もないが在る』という話①
ブログを始めて1年が経ちました!!
どうも、ヒラサワです。
いつも見て頂きましてありがとうございます。
本当ね、これを見てくださってる貴方にはウチの採れたてトマトあげたいくらい感謝してますよ!!
見てくれてる人がいなくても書けよ!自己満足だろ!!って思ってる方もいらっしゃると思いますが、見てくれてる人がいるって嬉しいのですよ、僕も人の子なのです。
で、で、今回は1年ということで少し振り返ってみたいと思います。
1年経ってブログを通して自分が最近は何を思ってるんだろうって。
ちょっとトーク系で書いていきたいと思います。
書くのラクなんで。
きっかけ:『何もない』の中のある『何か』を見つけたい。
きっかけは、単純でしたよ。
飲み会の席だったと思う。
そう、ブログを始めるキッカケがまぁ、単純。
いやさ、言われたんだよ、いつだったか年配の方と話した時があってさ、うちの行事だったかなぁ、ちょっとそこらへんは曖昧なんだけどね、話題が出たワケ。
『この町は何にもない』みたいなことがお題に上がってね。
でもさ、そんなのは絶対に嘘なんだよ。
こと雫石に関しては。
『1993年には、アルペンスキーの世界選手権とかやってんじゃん!!』
って、隣町で生きてきた僕だって、小さいながらに覚えてたりするんだよ?
『小岩井農場知らない人いんの?』
少なくても岩手に住んでる人で、知らないとかモグリでしょ?みたいな感じになってるよ。
なんかこの2つだけでも『どこの国の雫石町に住んでらっしゃるんですか?』状態だったんだけどね。
で、これについて少し考えてみて思ったことがあったワケ。
『何もない』って思うのは、過ぎ去る出来事に依存する心だろうか。
ないないという、雫石さん。
世界選手権するほど盛り上がった事実がある。
それは事実で歴史で史実なのだけど。
けど、こういうのって記憶なんでしょう。
まぁ、記憶なんだけど、記憶でしかないんだけど。
それでも人って外部記憶装置は内臓してないからね。
記憶って時間が経つとどうしても風化する。
普段はさ、小さな頭に入ってるのは、【感情】+【時間】が刷った記憶がせいぜいなところ。
それがまぁ、アルペンならもうすぐ四半世紀が経つ。
アルペン知らない世代とか、忘れちゃった世代はただただ『スキー場が多い町』くらいに思ってるんだろうか。
まぁ、僕もいうほどスキーとかかれこれ10年はしてないんだけどさ。
『何もない』の中にある『何か』を探し始めた。
『幸せはなるものでなく、気づくもの』
これ去年の、僕の中で響いた言葉ベストランキング4位なんだけどね、これに近い感じがする。
田舎の良さを見つけることで、そういうのに気づける自分になりたいと思ったんだろうなぁ。
僕の中の『何らかの心』が。
もうさ、思いません?
資本主義で物が溢れちゃって、誰が誰の為にどんな緊急性があって何かをするとか、何かを作るとか見失ってるんじゃないかって思ったことないですか?
田舎はね、そういう無駄が少ない。
畑を耕すのも自分が食べるのに必要でやってたりする。
効率的なんですよ、畑システムが。
スーパーマーケットに行くより、コンビニ行くより、採れたて野菜が手に入るわけ、庭に行くだけで。
マクドナルドとかCMでガンガン採れたてとか新鮮とか謳ってるけど、あんなの普通なのですよ、こと田舎ぐらしでは。
貴方の感情を揺さぶるにの必要なのは、物?、体験?
僕はこれからは、感情を揺さぶるのに必要なものが『体験』という方向にシフトしていくんじゃないかなと思ってる。
多分、今もそういう流れはとっくに出てきていて。
最近は、体験を売るとかいう、エクスマっていうんでしたっけ?
そういうのもあるし、やっぱりそういうのに需要があるんだなぁと。
ちょっと長くなったので、今回はココまで!!
まだタイトルの話まで話せてないですね^^;
次回に続きます。
はじめまして!
ライジングヨースケと申します。
自分は食と農業の関係について大学で勉強しています。
こうした情報発信をとおして、活動をPRすることはすばらしいと思いました。
ライジングヨースケさん。
コメントありがとうございます。
食は人にとって大切なことです。
買って食べれてるうちは印象が薄いかもしれませんが、何かがあればやはり農家の力が必要になりますよね。
自然と食、楽しさをテーマにこれからも記事を書いていきたいと思ってます。
ありがとうございます、見てくれてる方がいると思うと元気が湧いてきます。
これからもよろしくお願いいたします^^